自問悶々

好きでいたくないから嫌いになっていくのか。
たまに一緒に笑ってしまうことに、罪悪感を覚えつようになったのは、いつからか。
小さなことが目につくようになってしまったのはいつからか。
生活が変わって、こんな衝突は最初だけだと信じていたけれど、今はまだその初期段階の延長線上なのか。
もう諦めて慣れなくてはいけないのか、まだこの違和感を信じていた方がいいのか。
自分ではわからないことだらけだ。
かといって、周りに話しても、穏便に済ませろという。つまり私に我慢しろと。
それに反抗心があるということが、あるいは答えではないのか。

朝から大雨の中を自転車通勤キメたら、案の定滑って転んだし、傘壊したし、上から下までびっしょびしょでクーラー風にあたって、服は乾いたけどもなんだか体力の消耗がすごい。疲れた。
まだ木曜日。

二兎追うものは一兎も得ないかもしれないが

夏バテぎみなのか食欲不振と頭痛ともしかしてクーラー病と、もう何が何だか。
左足は回復してきたが、同じように右足をやったのが驚き。今度は自転車のペダルでがりっと。
どうしてこう…厄日ならぬ厄月なのか。厄年ではないはずだが。
もしくは、罰が当たっているのか。でも自分の心のままに行動したツケにしてはいろいろおかしくないかコレ。

昨夜は眠くて、変な向き合い方をしてしまった。おそらく、逃避するよりよほど悪いやり方を。
でも良いとこどりするつもりはないんだよ。私は両方欲しいんじゃないんだ。
今手にあるものを失ってもいいから、本当に欲しい物を掴みたい。その決心はついている。
ただその覚悟と行動が、まだできない。
こうしている間に、時間と信用を失っているのだろうな。

離れていて曖昧になってしまうのが怖い。
私がいつもそう思っているように、今度こそ、相手もそうなってしまうかもしれない。
どうしたらいいんだ。

逃避

向き合うことができないままでいる。
私は何が嫌なんだろうか。不機嫌になられること?責められること?
嫌なことを後回しにするのは、私の悪い癖だけれど。
言いたいことがまとまったら、理由がわかったら、その時が来ると思っている。が。
納得してもらえる話は、まだできそうにない。不十分だと思う。
一方、現状そのままでいいとは思わない。
結論は出ているのに、心が決まってないのだろうか、この期に及んで。
今更、今後、今の微妙な期間をなかったことにはできないのに。いや、将来笑い話に昇華できるのか?わからない。

とりあえず眠い。完全にクーラー病だと思う。睡眠不足もなくはないけども。
気持ちよく眠る為に、今日は家に帰る。

自由でいることと、他者と生活することは並立するか

他者に管理されているという感覚が、苦手だった。
おそらく、時間でも場所でも、私がどこでいつ何をしているかを把握されている、というのをとても不自由なものだと思ったいた(し、今でもとてもそう思っている)からだ。
過干渉の気のある親とは、大なり小なりそれで衝突をしてきた。親の言う「心配」は束縛を正当化する言い訳にしか思えなかった。
が、家を出て物理的に距離が離れたら、思った以上にうまくいくようになった。
だから、他者とのある程度の距離というものが、私には必要なのだと思っているのだ。

で、今である。
また共同生活を始めてみると、なんとまた、同じことになってしまった。
何時にどこへ行く、誰と会う、何をする。いつ帰る。
そんなのは私の勝手であろうが、と思う。かといって言わないと不機嫌になられたり、身に覚えのない疑いをかけられたりする。適当な事や嘘を言うのも逆に面倒で、本当のことを言うしかなくなる。言いたくないんだけど。

好きな時に好きな事をしていたいだけなのだ。予定は未定で決定ではなく、心のままにふらふらしたいだけ。
まぁ、言ったこととやったことが違ってもいいはずなのだけど。真人間のようなことを言うけども、結果的に嘘つくような事態はなんだか居心地が悪いのよね。
だから自分の心に正直に生きる為に、空白を残しておきたいだけ。
でもこの辺の感覚を、なかなか理解してもらえないのよな。

私はそんなに心許ない存在なんだろうか。でも追われると逃げたくなっちゃうのよ。
逆効果なのいい加減わかってほしい。

諦めることはまだ、できない

自分の世界が広がらないことに、息苦しさを感じる。
もともと広く浅く知りたい病ではあるのだけど、衝動的に生きてもいるので、いざその時に自由がきかないとか、何かしらかの障害があることがすごくストレスになる。
これを、うまく伝えることができればよいのだけど。
分かってもらえるように説明できるかもわからんし、正直その手間すら面倒。
あぁ、面倒とかいう言い訳をしながら愚痴を言うなんて。非効率的すぎて嫌になる。

妥協が必要なこともあるだろう。多少の妥協はしたいと思っている。
ただ、どこまでが妥協で、どこからが我慢なんだろうとか、最近考えている。
今の私はこれはもう我慢だと感じているけれど、周りからしたらこれはわがまま?

私の味方が私だけではないことを確かめたくなるのは、こんな夜だ。

私が分かっていればいいだけのこと

今日も朝から、立てばふらつき、職場でつっかかり。道を歩けば段差でつまづく。
私の足腰は大丈夫なのだろうか、という日記になりつつある。
とりあえず食欲はそんなにないけど、目の前にあればするりと食べられる。まだ元気だ。

相手に分かってほしいとか、同じように想ってほしいとか、そういうのが我儘であり傲慢であるというのは知っている。
でも今日は、私が自分の気持ちを知ってさえいればいいのだと、穏やかに思っている。
元々私の自己愛の強さというのは、究極的に「自分には自分しかいない」という意識からきているはずなので、この方が違和感はないのだが。
求めるのに疲れてしまった?諦めてしまった?

泣きっ面に蜂、不安定な空

体調不良に加えて、足を怪我したイエスタデー。
歩くのに不自由はないが、未だ血が止まってないの怖すぎ。
悪いことは重なるもの、というやつか。良いことが重なるのはいつのことか。
良いことの連なりに気付くための今ならいいが。

雨の日は好きじゃない。濡れなければ嫌いでもないけども。
今、雨と言うと、言の葉の庭やRainを連想する。
といいながら、本当に連想するものは、それを勧めてくれた人のこと。
その思い出を大切に出しては眺めながら、思いを馳せる。
底抜けに晴れているより、今の自分にはこういう空模様の方がほっとする、ような気もする。
問題は先送りのままだ。